「冬の日」(永井龍男)

ささやかな何かの始まりと大きな何かの終焉

「冬の日」(永井龍男)
(「百年文庫030 影」)ポプラ社

「冬の日」(永井龍男)
(「一個/秋その他」)講談社文芸文庫

年末の二十九日に、
住み慣れた古い小さな家の畳を
張り替えた登利。
二歳になる孫娘は
娘婿・佐伯とともに
郷里へ帰っていた。
その日、娘婿の上司・進藤が
登利のもとに訪れる。
登利は進藤にある重大な決意を
告げようとしていた…。

登利の決意というのは、
自宅を孫娘、娘婿、そして
その新しい再婚相手に譲り、
自分は大阪にいる親戚のもとに
身を委ねる、というものです。
登利の娘は佐伯と結婚したものの
子を産んでわずか2ヵ月で
この世を去りました。
それからの2年間、
登利が佐伯と孫娘を家に住まわせ、
面倒を見てきたのです。

なぜその決意が重大なのか。
愛した孫娘との別れとなるからです。
女手一つで戦後を乗り越え
育て上げた一人娘。
その愛娘の残した一粒種の孫娘。
そんな孫娘と二度と会えなくなるのは
身を切られるより辛いはずです。

ではなぜ孫娘と二度と会えない、いや
会わないと決意したのか。
この部分が本作品の最も重要な
シチュエーションなのですが、
作者はそれをあえて明確にせず、
会話の中にいくつかの鍵をひそませ、
読み手に察してもらうという手法を
講じているのです。

「みんなの仕合わせというものは、
 そういうものだということが、
 あたくしのような
 心の醜い者にも…」
「双方、無理もなかった。
 しかし、淋しいのはあなただ。
 よくお孫さんと
 別れる決心がつきましたね。」
「一度、決心いたしましてからは…」
「それに触れるのは傍観者の
 いらざるおせっかいですね」

このやりとりに前後して、
進藤が登利と佐伯の
事情を知っていること、
進藤が佐伯の再婚を
不人情であると感じていたことなどが、
登利と進藤の会話に
散りばめられているのです。

ここから推察できることは、
登利が佐伯と間違いを
犯してしまったということです。
登利が孫娘と娘婿を
家に引き取ったとき、
登利42歳、佐伯30歳。
共通する愛する者を失った
淋しさを思えば、
無理からぬ事と思われます。

最愛の孫娘と、
そして愛してしまった男性との、
おそらくは永遠の別れ。
それがみんなの仕合わせを願っての、
登利の決意なのです。
再婚する女性を含めた家族三人へ、
新しい畳に張り替えた家を明け渡す。
その鮮烈な情感に、
胸が締め付けられるような思いを
感じました。

物語の最後の情景として描かれるのは、
元日の大きな夕焼けです。
ささやかな何かの始まりと、
大きな何かの終焉。
それはまさに
登利の心の情景なのでしょう。

(2020.3.26)

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